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【大学受験対策講座】日本史B-008「古代国家1」

日本史B 大学受験対策

はじめに

共通テストや難関私大対策になる大学入試対策を講義していきます。日本史Bは追い込みができる科目と考えている教員や高校生も多いですが、私立大学で言えば数学と同一配点の重さがあります。決して、楽な科目ではないで早めに取り組んでいくことを覚えましょう。

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古代国家1

いよいよ、人物が沢山出てくる内容に入ってきます。時代的には古墳時代ともいえますが、古代国家の時代と言った方が良いでしょう。文化で言えば飛鳥文化に属します。

まず、覚えて欲しいのが継体天皇になります。前天皇が後継者を残さずに亡くなったこともあり、後継ぎが途絶えてしまいました。そのため。大連であった大伴金村が天皇家の一族だと言われている人物を連れてきて継体天皇として即位させます。ただ、胡散臭いと判断されたこともあり京都南部を転々としていて奈良に中々入ることができませんでした。ちなみに、上図には在位の年数が書いていますが、目安とする年数で書いているので覚える必要はありません。そして、継体天皇の時代の552年筑紫国造であった磐井新羅と結んで反乱を起こしています。そのため、物部物部麁鹿火が派遣され鎮圧しました。このことにより、大和政権の直轄地として屯倉が設置され九州での影響力が強くなりました。ただ、磐井の墓として岩戸山古墳がつくられており謎が多い点でもあります。

安閑天皇・宣閑天皇はとりあえず書いている程度で構いません。出題されるのは稀です。

*年号・・・527年(いじなる磐井が反乱)

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続いて重要人物になるのが欽明天皇です。欽明天皇の時代に継体天皇を擁立してヤマト政権で地位を確保していた大伴金村が伽耶4郡を百済に併合(譲渡)した問題を責められ失脚することになりました。正誤問題で注意して欲しいのは伽耶は滅ぼされることになりますが、伽耶を滅ぼしたのは新羅になります。そして、大伴金村が失脚したことで代わりに物部氏が台頭することになります。物部氏は大連だったこともあり地位を固めることになります。

一方で、朝鮮半島では新羅が勢力を拡大していることもあり、百済が軍事的支援を求めて日本に知識を広めていきます。例えば、五経博士日本に医・易・暦を日本に伝えることになりました。また、仏教に関しては百済聖明王が日本に伝えていますが、時期に関しては上宮聖徳法王帝説・元興寺縁起では538年、日本書紀では552年に伝わったとされます。どちらの年に伝来したかは未だにわかっていません。そして、問題となったのは仏教が伝来したことで、崇仏論争に発展したことです。渡来人と関係が深かった大臣蘇我稲目は受け入れに積極的であるのに対して、軍事関連の大連であった物部尾輿は日本の神々の祀りも担当していることがあり反対をしています。この両氏はヤマト政権の地位を巡って争っている状態にあります。

*年号・・・538年(ごみは百済から届く)・552年(ごごに百済から届く)

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続いて、敏達天皇に関しても覚える必要はありません。用明天皇も出題されることが稀ですが、蘇我馬子により物部守屋が滅ぼされたことで崇仏論争が終わったことは重要です。ちなみに、この争いに蘇我氏側で参戦したのが幼い頃の聖徳太子であり、必勝を祈願した難波の地に争乱後に四天王寺を建立しています。この争いに蘇我馬子が勝利したことで政権下で絶対的な地位を確保します。

この頃の蘇我馬子は実質的な権限は天皇より上回っている状態にありました。そのため、崇峻天皇も飾りだけの天皇の地位になっていました。その天皇が蘇我氏への不満を漏らしたことにより暗殺されてしまい、蘇我馬子は女性天皇にすることで掌握しようと考えるようになりました。

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