共通テストや難関私大対策になる大学入試対策を講義していきます。日本史Bは追い込みができる科目と考えている教員や高校生も多いですが、私立大学で言えば数学と同一配点の重さがあります。決して、楽な科目ではないで早めに取り組んでいくことを覚えましょう。
日本史の中でもメジャーな人物である。推古天皇について説明していきます。ただ、その前に次の( )の天皇を言えますか。
( )→安閑→宣化→( )→敏達→用明→( )→推古
天皇を歴史順に答えられるかの内容ですが、この様な単純暗記を嫌う受験生や教職員もいますが、受験ではかなり有効な方法です。というより、何度も復習すれば順番は頭に入ります。もちろん、順番だけでなく何をしたかも覚える必要がありますが、順番を覚えると点数が伸びるのは難関大学で実感できます。答えられない人は関連記事で調べてください。
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では、推古天皇の時代に起きた出来事は4つ覚えてください。その前に、推古天皇は女性天皇であり蘇我馬子により擁立された天皇になります。歴史的に女性天皇が登場するのは後継ぎ争いを防ぐため(緩衝材)や形式的な場合が多いです。そして、蘇我馬子が政権の中枢におり、聖徳太子(厩戸皇子)が摂政になり支えたことになります。ただ、聖徳太子がどれだけ活躍したかは疑問視されている点もあります。大化改新で蘇我氏の功績により薄めるために過剰に描かれていた可能性もあります。
政治的には、603年に冠位十二階を制定して世襲制を否定して個人の功績に応じて評価しようとする制度である。ただ、蘇我氏は除外されていることから蘇我氏の影響力が強いことがわかります。
*年号・・・603年(ろくをさずける冠位十二階)
2つ目に、604年に憲法十七条(十七条憲法)が制定されたが、現在の憲法のような基本法ではないので注意しましょう。憲法十七条は官吏(国家に仕えている役人)の心得などが書かれています。史料を見て何かわかるようにしましょう。
3つ目は、607年に遣隋使として小野妹子を中国に派遣しています。この時に、日本は対等外交を求めたこともあり、隋の皇帝であった煬帝は激怒することになります。ただ、煬帝は2代目の皇帝であるが大運河の建設や高句麗遠征の失敗により国力が低下していました。そのため、遣隋使の国書を怒ったのですが、対等外交を結ぶことを決め下級官吏であった裴世清を日本に派遣することを決めました。そして、留学生として高向玄理・南淵請安・旻を『受け入れることになりました。
最後に、大化改新の際に焼失しましたが『天皇記』『国記』が編纂されています。要は歴史書の様なものです。これは似たような本が天武天皇の時代にでるので、きちんと推古天皇の時代であると把握しましょう。
受験生の2人に1人が利用する圧倒的なわかりやすさ!まずは無料でお試し。推古天皇の次は舒明天皇が即位します。舒明天皇の時代は遣唐使だけが大きな出来事になります。隋は2代で滅びた後に唐が建国(618~907年)します。そのため、630年に犬上御田鍬を唐へ派遣しています。
*年号・・・630年(むされて海を渡る)
遣唐使に関しては少し深く理解をしておく必要があります。例えば、遣唐使の船は摂津津から出航して当初は朝鮮半島沿いに行く北路で行っていたのですが、白村江の戦いで新羅と関係が悪化した後は南路・南島路に変わりました。当然、南路・南島路の方が危険でした、この航路を使用していました。そして、船が4隻で行っていたこともあり遣唐使の船を4つの船(四つの船)と言われました。
そして、遣唐使として派遣された中で覚えておいて欲しい人物は、唐の皇帝(玄宗)に気に入られたことで日本の帰国が出来ずに亡くなった阿倍仲麻呂、最後の遣唐使となった天台宗の円仁は必ず覚えましょう。円仁は天台宗の3代目の座主であり天台宗を密教化した人物でもあり、彼が遣唐使での生活を描いた『入唐求法巡礼行記』という本も書いていることを忘れない様にしましょう。
そして、遣唐使として指名されながら仮病を使い唐に行かなかった小野篁などは稀に出題される程度です。ただ、重要な人物として894年に宇多天皇に遣唐使の廃止を建議した菅原道真は重要人物であります。
「これがエルセーヌだ!」エルセーヌのエステ体験行ってみた!【画像あり】舒明天皇の次は皇極天皇になります(舒明天皇の后)。この時代は蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子が権勢を誇っており一部の有力者が不満を持っていました。そのため、蘇我氏に反発的していた聖徳太子の皇子である山背大兄王を滅ぼして増々権力を持つようになりました。
この様な状況の下で、反蘇我氏の勢力が暗躍をするようになりました。ある日、中大兄皇子と中臣鎌足らは天皇の謁見に来た蘇我入鹿が丸腰になったタイミングを狙って襲いかかり殺害に成功すると蘇我蝦夷も滅ぼすころに成功した。この騒動を乙巳の変と言い、一連の政治改革である大化改新が起きることになります(645年)
*年号・・・645年(むじこで大化改新)