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【日本史演習問題03】共通テスト・進研模試・全統模試対策「旧石器時代~室町時代」

はじめに

共通テストや模試の対策の一環として日本史の演習問題を掲載しています。解説も掲載しているので日本史の問題を取り組みたい人はやってみてください。問題に関しては、それなりの意図をもって作成しています。

日本史B講座一覧(問題まとめ)

問題

解説1

【解説】

問題1・・・Ⅰ⇒Ⅲ⇒Ⅱ

 受験生が苦手とする蝦夷征討の話です。通史の内容と比較して覚えるようにしてください。今回は、蝦夷征討だけの問題なので難易度は高くありません。順番は①渟足柵・磐舟柵を設置(日本海側の前線基地)(孝徳天皇)、②阿倍比羅夫が秋田地方・津軽地方に遠征(斉明天皇)、③出羽国設置(712年)

多賀城設置して鎮守府を置く(724年)、⑤秋田城を設置(733年)、⑤伊治呰麻呂が東北で大反乱(*光仁天皇)、⑥征夷大将軍に坂上田村麻呂を任命され阿弖流為を降伏、⑦胆沢城を築く(多賀城から鎮守府を移す)、⑧志波城を築く(803年)、⑨藤原緒嗣菅野真道で徳政争論(805年)、⑨文室綿麻呂が遠征(811年)の順番です。ちなみに志波城は多賀城並みの規模でしたが洪水により10年程度で機能していない。必ず、どの時代かを把握して覚えましょう、

問題Ⅱ・・・Ⅱ⇒Ⅲ⇒Ⅰ

 中国の歴史書から見た日本についてです。Ⅲに関しては共通テスト以上の難易度かもしれませんが、まず中国から見た日本は①漢書、②後漢書、③魏志、④高句麗好太王碑文、⑤宋書、⑥隋書の順番です。そして、ⅡとⅢに関しては②の後漢書の内容になります。Ⅱの後漢書の前半は1世紀の内容であり奴国が使者を派遣して光武帝より金印を授かった57年の話しであり、後半は2世紀の内容で帥升生口160人を献上した話である(107年)。Ⅰは魏志の内容であり239年に卑弥呼は使者を派遣している(*余裕があれば大夫の難升米を史料から探しておこう。

問題Ⅲ・・・Ⅱ⇒Ⅲ⇒Ⅰ

 明恵『催邪輪』は知っておいて欲しい内容ですが、法然を批判したとあるので法然がでてくるのは鎌倉時代(正確には平安時代末期)になります。そのため明恵も鎌倉時代の人物になるでしょう。Ⅱの空也は浄土教が出てきたさいの人物であり文化では国風文化に属します。ちなみに、有名な空也上人像(康勝)は鎌倉文化に属するので間違わないようにしましょう。Ⅲの平治の乱(1159年)は院政期に属します。平治の乱の後に敗走した源義朝は逃走中に風呂場で殺害されます。嫡男であった源頼朝は幼いこともあり平清盛の母の嘆願により命は救われ伊豆に流されます。

問題Ⅳ・・・Ⅰ⇒Ⅱ⇒Ⅲ

 Ⅰの『増鏡』は南北朝文化で院政期文化の大鏡から続く四鏡の最後になります。Ⅱに如拙は北山文化であり、Ⅲの雪舟の東山文化と混ざらないようにしてください。両方とも写真が出てきても答えられるようにしてください。 

問題Ⅴ.Ⅲ⇒Ⅰ⇒Ⅱ

 聖武天皇の時代は並び替え問題の頻出事項なのでしっかりと覚える。740年藤原広嗣の乱に動揺した聖武天皇は鎮護国家の思想で741年国分寺建立の詔を出している。また、天平十五年の格墾田永年私財法を意味しており743年の出来事である。

解説2

【解答】間違いのみ解説

1.縄文晩期の水田跡は佐賀県の菜畑遺跡と福岡県の板付遺跡が有名である。青森県の三内丸山遺跡は縄文時代の大規模遺跡として有名だが水田跡は発見されていない。

4.和同開珎は708年鋳造であり、平城京遷都より前の出来事である。皇朝十二銭和同開珎から始まり村上天皇の乾元大宝まで続く。ちなみに、飛鳥池遺跡で発掘された富本銭が最古の銅銭であるが流通貨幣ではなかった。

6.聖武天皇の時代に相次いで病死した藤原四兄弟であるが、藤原房前が北家の祖であることは覚えておこう。もう1つは藤原宇合が式家の祖であり薬子の変により没落することになった。

9.○○の武士は3種類必ず把握すること。天皇家の警備にあたったのが滝口の武士・院政期に上皇の警備をしたのが北面の武士・後鳥羽上皇が設置したのが西面の武士である。

10.鹿苑寺金閣は北山文化に属しています。鹿苑寺自体は京都五山第2位の相国寺に属しているため臨済宗ですが、そもそも書院造は東山文化にできあがります。日本住宅の原形であり慈照寺東求堂が有名です。

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