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【日本史演習問題05】共通テスト・進研模試・全統模試対策「旧石器時代~室町時代」

はじめに

共通テストや模試の対策の一環として日本史の演習問題を掲載しています。解説も掲載しているので日本史の問題を取り組みたい人はやってみてください。問題に関しては、それなりの意図をもって作成しています。

日本史B講座一覧(問題まとめ)

問題

 

解説

問題1・・・Ⅰ⇒Ⅱ⇒Ⅲ

 ①浄土教が流行したのは国風文化であるが(*源信『往生要集』などが有名)、地方に広がりを見せたのは院政期の文化に入ってからである。代表的な建築物として陸奥の中尊寺金色堂や豊後の富貴寺大堂がある。ちなみに、浄土教は阿弥陀仏を信仰している。②の親鸞は浄土真宗の開祖であり鎌倉新仏教の1つであり、著書に『教行信証』がある。彼は悪人正機説を唱えたが、教えを間違って解釈する人が増えたために慈円『歎異抄』を書いている。③に関して、臨済宗は栄西が鎌倉時代に中国の臨済禅を伝えてつくられた宗教であるが、鎌倉幕府・室町幕府位に保護され成長した。五山・十刹の制を整備したのは足利義満であるので文化で言えば北山文化になる。

問題Ⅱ・・・Ⅲ⇒Ⅱ⇒Ⅰ

 ①三善清行意見封事十二箇条醍醐天皇901年に提出している。902年に最後の班田収授が実施されている様に律令制の限界がきていた。③の平将門の乱は935年に一族間の争いから関東一円を支配するまで勢力を拡大したが、平貞盛・藤原秀郷によって滅ぼされることになった。まだ、同時期に四国・九州中心に藤原純友が反乱を起こしており、こちらは源経基小野好古によって滅ぼされている。両方の争乱をあわせて承平・天慶の乱という。②の源高明ら失脚したのは969年安和の変であり藤原氏北家による他氏排斥が完成したことになる。

問題Ⅲ・・・Ⅰ⇒Ⅲ⇒Ⅱ

 ①鎌倉幕府の最後の執権である北条高時が権勢をふるうと各地で不満が募っていた。その中で、大覚寺統の後醍醐天皇は記録所を再興して天皇の新政を行う意欲を見せた。②しかし、後醍醐天皇の討幕は正中の変・元弘の変と失敗が続いて後醍醐天皇は隠岐に流されることになった。その後は護良親王、楠木正成らが鎌倉幕府と対立を続けており、最終的に1333年に鎌倉幕府が新田義貞を滅ぼし、六波羅探題を足利尊氏が滅ぼされたことで再び後醍醐天皇は即位することになった。②後醍醐天皇の建武の新政は公家に恩賞が多かったこともあり不満を抱え、二条河原落書にあるように社会も混乱を続けた。

問題Ⅳ・・・Ⅲ⇒Ⅱ⇒Ⅰ

 ③庶民の間で流行して貴族でも流行った今様をまとめた『梁塵秘抄』後白河法皇によってまとめられている。②荘園領主と地頭の争いは鎌倉時代であり、下地中分は簡単に言えば土地を折半することであり、地頭請は地頭に税の徴収を任せて一部を荘園領主が貰う制度である(*下地中分は史料で頻出)。

草戸千軒は室町時代の遺跡であり芦田川の氾濫によって水没した福山(広島県)の町である。

問題Ⅴ.Ⅱ⇒Ⅲ⇒Ⅰ

 ②の奈良法師(興福寺)・山法師(延暦寺)の僧兵による強訴院政期である。③の吉田兼好徒然草は鎌倉文化に属する。①の法華一揆は室町時代(1532年~)に京都の町衆に支持されていた日蓮宗が

山科本願寺(浄土真宗)を焼き討ちにしている。ただ、日蓮宗は天文法華一揆(1536年)で延暦寺により焼き討ちされてしまい京での勢力は衰えた。

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