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「大学の授業での私語」問題の記事を読んで「理由を説明すること」の難しさを考える【教育コラム】

他人に迷惑をかけなければ許されるのか?

はじめに

近畿大学の先生が授業を静かにするために叱るのではなく、なぜ私語をしてはいけないのかを説明していることが記事なっていた。最初にルールを説明して徹底していくことで授業を静かになると書かれています。ただ、私語をしなければ携帯電話も睡眠も注意はしないとなっていますが、コメント欄には好意的な意見が多いです。果たして、この様な方法は良いと言えるのでしょうか?

記事:「大学の授業での私語」問題 静かな授業を実現した准教授の対応に「良い対処法」「授業を受けたい」と反響

大学だから成立する考え

以前から思っていたことが大学によっては授業が崩壊していることがある点です。不思議に感じたのは、話したいなら授業をサボれば良いのに、なぜ授業は出席するのか?という点です。この点に関しては、「出席点を稼ぎたい生徒」「授業には絶対出席しなければいけないと思い込んでいる生徒」などがいるためでしょうか、授業に出席すべきかどうかの自己判断ができない大学生自体が問題に思います。

ただ、この問題に関して好意的な意見が多く見られましたが、結局のところは大学でしか成立しない内容になります。なぜなら、小学校~高校であれば生徒を授業中に外に出すことはできません。騒がしいなら廊下に立たせるも体罰になるのでできません。そのため、「帰れ!」と言っても帰すこともできません。さらに私語が騒がしければ教師が悪いとなります。そのため、教師をい経験した人は今回の様なケースが出来るなら嬉しいでしょう。でも、現実は教室内に居させないといけないし、生徒が授業に関心を示さないのは授業内容が悪いと言われます…。

そして問題なのは、小学校から授業中に私語は禁止されていたはずですが大学生になっても身についていない。つまり、人の話を聞くと言うことができない大学生が増えていることです。もちろん、昔から存在していたのでしょうが最近は変に真面目に授業を受けに来るからこそ問題点が明るみに出たともいえます。

さらに疑問に感じたのは①他人に迷惑をかけなければ問題がないと考える点、②説明がなければ理解できない点、この2点が気になります。

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他人に迷惑をかけなければ良いと判断する怖さ

授業を聞くことだけに問題点を考えるなら、私語さえしなければ携帯電話を触っていても寝ていても問題がないと考えていますが、大前提に他人に迷惑をかけない基準とは何でしょうか?

例えば、クラス内で授業をしている状況で生徒の多くが携帯電話を触ったり、漫画を読んでいたり、寝ているとすればあなたはどう思いますか?まず、外から授業の光景を見たら、この学校には行きたくないと考えるのではないでしょうか?授業を受ける生徒とすれば真面目に授業を受けたい生徒にとっては良い点があるかもしれませんが、周りのクラスメイトが聞く気を示さない状態で受け続けて学習意欲が高い生徒は少なくありませんか?さらに、授業を聞くのは自由と言われても、真面目に授業を聞いた生徒も適当に授業を聞いた生徒も同じ単位数(*点数は違うかもしれないが)なら意欲はなくなりませんか?

真面目に働いても怠けて働いても同じ収入なら一生懸命働く人は減ります。社会主義の限界点ではないでしょうか?

そのため、他人に迷惑をかけない基準が授業を聞ければ良いだけなら大学の講義を受ける必要性もない気がします。

理解できないと行動しない問題

教育の中でも「しっかりと説明して理解させなくてはいけない」という呪縛が多いのではないでしょうか?「なぜ、それがダメなのか」「なぜ、注意をされているのか」を説明をする方が良いという意見も多いです。ただ、今回の件に関しては授業中に私語を話すと授業を聞きたい生徒に迷惑になるから、声を出さない状態にするか教室から出ていくかを求めています。でも、私語をする生徒からすれば、「授業に出席しないと単位もらえないから出席する」という論理のはずです。ここで交渉は成立するでしょうか?

中高での校則問題でも難しい点ですが、生徒が納得する規則が必要とされ過ぎていないでしょうか?もちろん、しっかりと説明して理解していた方が効果的なことが多いです。ただ、受験勉強を教えていても、「グダグダ言わずにやってみなさい」と思うことも多いです。ただ、説明が少ないと説明不足と教師の方が責められることも多いです。

ただ、「授業中に私語をしない」というルールぐらいで説明して納得させないといけないのでしょうか?

この相手の話をしっかりと聞いて理解させなくてはいけないという呪縛が問題です。なぜなら、多様性を求めるなら価値観を統一はできません。価値観が統一できないなら納得するかしないかに関係なくルールが必要です。ある意味で、年金問題や税金など納得はしていないけど社会システムで導入されているでしょう。そうすると「対話する=良いこと」と言えないのではないでしょうか?客観的に合理性があるなら、わざわざ理由は不要に思えます。

実は、この記事の深刻な点は、元記事なども読んで感じた点ですが、凡庸性のない方法ではあるけど称賛する声が多いことから、大学での授業態度に関して問題を抱えていると感じている人が多いのでしょう。おそらく、多くの大学で静かに集中して授業を受けられなくなっていうのかもしれません。だからこそ、静かな授業を成立させるだけで評価が高いのでしょうか?そして、単位の修得率は他教科と比べてどれくらいなのか?色々と考えさせてくれます。

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