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校則を変えることが良いことになり過ぎている危機感「ブラック校則撤廃とは違う問題」

校則=ブラック校則と考えすぎでは?

はじめに

ブラック校則が話題になった影響で、全国の学校にある不合理な校則に関して話題になりました。そのブラック校則の多くが撤廃されるべき校則だった一方で、校則そのものを変える動きも多くあります。そのため、いつの間にか「校則を変える」「制服を変える」がポジティブなイメージになっていますが果たして本当にそうなのでしょうか?

制服か私服かの論争は昔からある

ブラック校則撤廃の動きが、いつの間にか制服の変更や撤廃、校則を緩める方向に向かい過ぎていないかと考えます。生徒たちが意見を出して制服変更や撤廃のために学校に訴えたとあればニュースにもありますし、学校側も生徒の意見を受け入れれば理解のある学校と感じたニュースが流れます。でも、本当に今の流れは良いことばかりでしょか?

制服か私服かの論争は昔からあります。私が大学生の時も制服or私服のディベートを授業でやったように、当時は私服への変更が多かった時代でもあります。それでも制服に対するニーズが強かったです。まず、自分自身が受験生だった際に試験会場で制服を着た受験生は少数派でした。しかし、今の試験会場を見れば制服で受験する受験生が多いことに気づきます。そのため、そこまで制服を邪険に扱わなくても良いと考えるのですが…。

そして、気になる点は制服の変更などを生徒から意見が出れば簡単に変えて良いかという点です。なぜなら、来年度…数年後…と続けば違った意見も出てきます。その度に、生徒が意見を集約して要請すれば制服を変えるのでしょうか?それこそ毎年変更もありえます。そのため、生徒の意見を聞くことも大事ですが、その一方で学校としての考えも明確にした方が良いでしょう。生徒受けすることばかりすれば学校として問題があります。でも、生徒の意見を無視することも学校として問題があります。バランスが大事になります。

そのため、最近の「生徒が要望出せば良いのでは?」という風潮は少し危機感があります。あくまで、バランスが大事だと感じます。

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校則の撤廃は良いこと?

服装指導や頭髪指導、化粧指導など教員自身も非常に面倒だと考えています。素直に言うことを聞く生徒ばかりではありません。それなら一層、校則を失くせば良いのではないか?という意見があります。そうすれば生徒も教員もお互いに負担が減り人間関係が良くなると考えます。でも、本当でしょうか?

まず、高校であれば就職関連の人事担当者や学校関連の広報部が多く訪問をします。その際に生徒の姿を見て何も感じないのでしょうか?もし、あなた自身はお店などに言って店員の姿に疑問を感じることはありませんか?残念ながら、社会では見た目が重視されます。そのため、服装がだらしないなら「そういう学校」と偏見で見られます。一方で、進学校なら「自由な校風」で済まされるから理不尽です。ただ、何もかも生徒に迎合する必要はないかもしれません。もちろん、高校は自分で選択して受験するのですから校則が厳しいか緩いかは自己責任だと感じますが…。

ただし、ブラック校則を存続させろとは1つも思いません。むしろ、撤廃した方が良いでしょう。ただ、生徒に迎合した校則の運用は辞めた方が良いでしょう。なぜなら、校則の問題ばかり話されて大事な点は話題にならないからです。

例えば、成績が悪い(勉強しない・欠席が多い)生徒に下駄を履かせて進級するのはおかしい、授業中に私語や騒ぐ生徒を指導して欲しい等、生徒自身に不利になることは論じられないからです。

やはり、「校則を緩める=自律」が重要になります。都合の良い場合だけ学校を頼るのではなく、自由を求めるなら自律も求めるべきでしょう。そう考えると高校での学校推薦入試はどうなるのでしょうか?

校則は息苦しいと考えている学生も多い様ですが、これまでは生徒もギリギリの段階で上手く対応してきました。間違えたことをすれば謝ればよいでしょう。ブラック校則のせいで校則自体が間違っている印象になったのは残念です。

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多様性を認める?

社会に出れば化粧をしなくてはいけないのだから高校で化粧を禁止するのは間違っている。むしろ、きちんと化粧をする方法を教えるべきという意見があります。また、多様性社会の中で化粧や頭髪、ピアスなどを認めないの間違っているという意見があります。でも、これには疑問を感じます。

本当に主張しなくてはいけないのは、「化粧をしないといけない考えの社会がおかしい。素顔でいて何が悪い」という点ではないでしょうか。

もっとも個性的なのは素顔ではないでしょうか?1人1人が違った顔をしており表情をしています。化粧をすれば似たような表情(化粧の流行り)になりますが素顔が1番の個性であり、多様性を認めるなら1人1人の素顔でいることが普通に思う方が良いのではないでしょうか?

もちろん、世の中はそれほど簡単ではないでしょう。でも、高校の校則を変えて認めさせようするなら、まずはこの点を考えましょう。さらに言えば、大学生は化粧をすることを強制されているわけではありません。では、なぜ多くの女性は化粧をするのですか?そう、会社が強要していうよりは周りが無言の圧力をかけてくるのではないでしょうか?言い換えるなら、多様性と言いながらも1番の個性であり顔に化粧で覆い隠すことになります。

そう考えると、単純に「化粧をしたいから校則を変えろ」で良いのではないでしょうか?それなら、学校側は「しっかりと学習内容を理解していないと単位を落とす」と言い切れば凄いことになるのでしょうが…。結局、自由度のある学校を選ぶかどうかの選択するのは生徒自身です。校則が緩い学校の方が魅力的で生徒が集まるなら校則など直ぐに撤廃する高校もいるでしょう。ただ、そのデメリットも考慮するから、どちらかと言えば校則がそれなりに残っている高校が多いのではないでしょうか?

そして、校則が厳しい方が良い(服装や遅刻指導など)と思う生徒も多くいます。また、本当は校則をどうにかして欲しい(*ブラック校則を除く)ではなく、学習面でもっと学びたいから何とかして欲しいとの意見が出る方が良いのでしょうが…。

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